gallery saoh  
 
 
gallery saoh wax  
gallery saoh class  
gallery saoh kibou  
gallery saoh rent  
 
 
tomos b  

ギャラリー砂翁
& TOMOS B

 
東京都中央区日本橋本町
1-3-1
 渡辺ビル 1F/BF
TEL/FAX
 03-3271-6693
saoh@jpin.co.jp
facebook
 
TOMOS B
ギャラリーアーティストのグッズやキャンドル,キャンドルクラフト材料などを扱う小さなお店
tomos-b.hatenablog.com
tomos-b.jimdo.com
蜜蝋・ワックス販売してます。
詳細等は、お問合せ下さい。
 
Copyright©since2000
All rights reserved
 
gallery saoh archive   gallery saoh exhibition   gallery saoh future


- Gallery Saoh -
三つ目童子16の物語。
鍋倉孝二郎/木彫り作品展
 
2016.10.16(日)〜 25(火) 9/23のみ休み

11:00-18:00 (最終日17:00)


 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「牛歩三つ目童子」


独立独歩、牛歩先生。


暗闇から牛を引き出したような…とは、

あまりパッとしない人を揶揄する言葉だが、

あぁ、それはいかんねぇ。

人も牛も付き合って見ねばわからないもの。

牛は鈍重と言われるが、外見に似ず繊細な感性の持ち主。

一度通った道は決して忘れず、歩みはのろくても堅実。

小さな子供でも侮ることをしない。

何事にも反芻を旨とする哲学の徒である。


月あれば月の光を頼りに

闇夜なれば鈴の音を聴きつつ

黙してたどる四季の道々

 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「三つ目弓引き童子」


納戸の神さま、笑童子。


近年、お目にかかれないものの一つに納戸部屋がある。

家の北奥に位置し、種籾や祭祀用具などを納め、

時には産室になり、死者の床ともなる場で、

その家の要である。

武将の奥方を「北の方」と呼ぶのもこれに倣ったもの

なのだろう。

明かり窓の少ないこの部屋は、特別な存在感があり

妙に落ち着く。

ある雨の日、種籾のカマスに寄りかかって

ぼんやりしていたら「ククク」…と笑う声がする。

怖くはなかったが、祖母に語ると

「それは笑童子、納戸の神さまじゃ」と、事もなげに言った。

東北地方の座敷ワラシとその根は同じようなものなのだろう。

不幸にして間引され、一度も大地を踏むことがなかった子、

それが家の守護霊となったという説もある。

履物を持たない子…なれば一本の樹の枝に登らせて、

一本の矢に変じて、まん丸の月まで行ってみやれよ。


弓の握りより上は天の十二神、下は地の十二神。

引かば満月、放てば半月、弓無くば闇となるなり。
 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「三つ目韋駄天童子」

 

走れ、韋駄天。

 

あるとき、邪鬼が仏舎利を盗んで逃げた。

これをどこまでも追いかけて取り戻したのが

韋駄天で、駿足不屈の仏法の守護神である。

ちょうど舎利塔を彫ろうかな、という時に

ある方のネット投稿で、世にも不思議な形の

「アンデスジャガイモ」が目について、

そのイメージを勝手に拝借した。

仏舎利とジャガイモ…一見無関係のようだが、

仏舎利は仏の教えを育む芽。

ジャガイモもまた、いのちを育む…そう考えれば、

これあながち的外れでもないのかもしれない。

頭の鳥、一応ハヤブサなんですけど、ね。
 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「三つ目寒山拾得童子」


鬼の一族、寒山と拾得。


寒山は深山に住む学者、拾得は麓の寺男。

二人とも蓬髪で、ほとんど性格は正反対ながら、

なぜかウマが合う。

寒山はふらりと里に下り、寺和尚を相手に禅問答を…

拾得は供えもののカケラなどを腰の竹筒に入れておき、

庭の隅で寒山と食べながら、話し込んでは「ふふふ」「ははは」。

何がおかしいのかと、耳をそばだて聴いてみても、

余人には、ついぞ理解できなかった、という。

二人の言葉は「鬼語」であったのかもしれない。

あるいは清俗は同根ですよということかも、ねぇ。
 
NABEKURA KOJIRO 2016NABEKURA KOJIRO 2016
NABEKURA KOJIRO 2016NABEKURA KOJIRO 2016
NABEKURA KOJIRO 2016 「春王子一郎」

「夏王子次郎」

「秋王子三郎」

「冬王子四郎」

「土用王子五郎」
 
日本五季物語 五郎王子の巻。


かつて南九州の薩南地方に、仏法普及と視覚障害者救済を兼ねた

盲僧琵琶の一大集団組織があった。男性版瞽女さんとでも言おうか。

天台宗に属し、春と秋、各集落の家内安穏を祈願して巡回。春は

麦一升・秋は米一升を布施となし、人々から「家督さん」と呼ばれて

親しまれていたが、高度成長期、貨幣経済の農村部への浸透によって

自然消滅。唯ひとり宮崎延岡で自寺・檀家を持ち布教されていた

永田法順師の2010年の死によって、鎌倉期以来約500年に

及ぶ「家督さん」による法灯は絶えた。


その盲僧琵琶の語り物のひとつが「王子の釈・五郎王子の物語」。

天帝に四人の王子あり。一郎に春、次郎に夏、三郎に秋、四郎に冬を

任せ、季節の守護の役とした。ところが五人目の王子が生まれ、

幼いうちは四人に付き従い興じていた五郎が、長じると自我目覚めて、

「俺にも役目が欲しい」…というわけで、五人の兄弟間に争いが生じ、

天候は不穏のうちに乱れに乱れた。

王妃これを憂い嘆き、同じ乳で育ち何ぞ争うや、と天より乳を絞り

一滴…すると、地はたちまちに一面の濃霧立ち込め、争いは止んだ。

天帝、改めて四人の王子たち集め、それぞれの季節の持分から数えた

最後の一八日を召し上げ、これを五郎王子の持分と定めた。

これが立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日までの一八日間の土用であ
る。

これによって五人の王子は、おのおのが均等に約七二日間の持分となり、

宇宙天候は、再び順当な運行となったという。


かつてはこの各土用には、季候定まらぬことから「土耕さず種蒔かず」

などの禁忌があったが、今は夏土用丑の日「鰻を食おう」のみが残る。

大相撲の、東の青房(一郎)、南の赤房(次郎)、西の白房(三郎)、

北の黒房(四郎)、そして円い土俵(五郎)は、その名残りである。
 
NABEKURA KOJIRO 2016 
 
「三つ目お精霊雨童子。」


盆に降る雨、お精霊雨。


農家にとって一年のうちでお休みといえば、盆と正月。

なかでも盆三日は、不思議な静けさとやすらぎに満ちて

田にも畑にも人影ひとつ見えず…蝉時雨のみがしきり。

この期間は殺生厳禁で、河童たちもお休みだ。

私の集落では、この時期に降る雨を「お精霊雨」と呼んだ。

乾いた大地に音もなく雨が降ると、確かにそこここに

精霊がいて、ひととともに在るような

不思議な時間だった。
 
NABEKURA KOJIRO 2016 
 
「三つ目琵琶童子」


七歳の、琵琶始め。


毎年、春と秋に訪れる「盲僧琵琶」の家督さん。私の実家は

その家督宿。山奥のことだから、その訪れは何より嬉しい。

夜は薩摩弁でトンチ話などを聞かせてくれた。

ある秋、新任の家督さんが訪れ、谷奥の本家までの案内役が

私…大役だなぁ。本家までには、谷川があり橋はなく飛び石。

どうしよう、と迷っていたら、

「あんた下駄やろ、音立てて渡っておくれ!」と言う。

カンカン、パ、カン、パ。石九つを飛び振り向くと、

聞き耳を立てていた家督さん。最初の石を杖で確かめると、

ひょいひょいと、まるで見えるが如し。おぉ、すごい。

音、匂い、風…それを鋭く聞き分けるもうひとつの眼…

今でもこの光景は忘れがたい。この家督さんが

初めて修行に出たは七歳であったという。
 
 NABEKURA KOJIRO 2016  NABEKURA KOJIRO 2016
 
「三つ目蝉丸童子」(右)
「三つ目赤蜻蛉童子」
(左)


精霊の行方。


郷里九州薩南地方では、盆に帰って来る祖霊の乗り物は、

蝉と蜻蛉ときまっていた。蝉は七年地中に住み、地上に出ては

短い夏のいのちの日々を鳴き明かす。赤蜻蛉は盆の時期に

申し合わせたかのように群舞する…そんなことからの伝承だろう。

祖父は盲目だったから、無言の蜻蛉さんではなく、もっぱら蝉派で

盆の入りの夕刻には、縁に正座し、聞き耳を立てて待つ…

一際大きな鳴き声を捉えるとそれを合図の如く「今お戻りじゃ」と

私を促し、盆棚に灯を点けさせたものだった。


小さな灯りが電気のない里山の家を照らし、黄昏に比例して、

序々に輝きを増すと、戦地で果てたという顔知らぬ父の

面影を見るような気がしたものだ。この時期の灯りには、

今でも、何かしら特別なものを感じてしまう。


灯ひとつ擂鉢谷の小家かな
 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「三つ目杖鼓童子」


茶道の源流は里山にあり。



茶室の露地。そこに置かれた飛び石を見ると、

作庭の発想の根は、山里の景色にあるように思う。

飛び石の周囲に打たれた苔は、水の流れで、

その奥の茶室は、畑の隅の作小屋のイメージだろう。

こんな谷川の風景に出会うと、利休さんの言う

「侘び」の意味が何となくわかる気がする。

このところ韓流時代劇にはまっているから、

旅芸人の小僧に杖鼓を打たせてみた。ほんまは

今少し躍動感が欲しいところだが…
 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「雲上鬼遊三つ目童子」


ほんとは怖い、鬼遊び。


鬼ゴッコなんて、近年だぁれもやらない遊びだが、

よくよく考えてみれば、その起源は恐ろしい。

暗闇に潜む鬼が、ひとをさらうという話だから…

私の祖父は次男でありながら喜一郎という名、祖父の

兄は名を源次。つまり私の祖父はスペアという訳だ。

「真田丸」の源三郎、源次郎の名前の逆転も同じ理屈。

そんな事を考えながら彫っていたら、黄泉の国に

妻のイザナミを尋ね、その変わり果てた姿を見て、

あまりの恐ろしさに逃げ帰ったイザナギの

「黄泉比良坂」の逸話も混在してしまった。
 
NABEKURA KOJIRO 2016
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「雲乗り春宵三つ目童子」(上)
「雲乗り月取三つ目童子」
(下)


木の根供養。



家の庭続きに持ち主不明の雑木林があった。

欅、樫、桑、藪椿、山藤と、さまざまに…

中でも欅は樹齢相当な巨木で、梢に滑車をつけ

鯉のぼりを泳がせたり、秋は落ち葉焚きと長年の

お友だちだったが、四〇年目に宅地造成で伐られた。

ブルで根こそぎコネコネしたところでどうやら資金が

尽きたらしく遁走。草藪に放置された根を削って

雲に…小僧を乗せて供養してみた。

いい気分だと、そりゃそうだろう。
 
NABEKURA KOJIRO 2016
 
「馬頭三つ目繭童子」


馬と蚕、不思議な関係。



馬は蚕の守り神じゃ…蚕に桑を与えながら、蚕の背にある

馬蹄形の紋章を指して、祖母は私にそう教えた。

桑しか食べず絹糸を吐く蚕。神社などに奉納される神馬。

共に「貴種信仰」という意味かと思っていたが、後年、中国の

古書『捜神記』に「馬の恋」とあるのを発見…ある娘に恋した

馬が叶わぬ恋の果てに娘をさらい、一本の木に繭となって

娘と籠もるというお話だ。薩摩では蚕を「ケコジョ」と呼ぶ。

ケコ=蚕、オゴジョ=若い娘、この二つが合わさって出来た

呼び名でもあるようにも思えてくる。

そしてわが国の遠野に伝わる桑の木を削った馬と姫の養蚕の

神オシラサマ…あぁ、これが祖母の情報源かと思いあたった

が、はてさて祖母は九州の奥山しか知らず、ラジオもなし、

本一冊読まず。これは謎だなぁ…この話、いきものと親密に

関われば、おのずと生まれる万国共通の説話としておこう。


蚕桑食む音、時雨に似たり
 
 

 

 
TOMOS B
 
ギャラリートモスとして、長年作品を展示してきましたが
2015年2月よりギャラリーアーティストのグッズやキャンドル
キャンドルクラフト材料などを扱う小さなお店にリニューアルしました。
ぜひ、日本橋へお越しください!


 

TOMOS B
103-0023 東京都中央区日本橋1-3-1 渡辺ビルB1
tel. 03-3246-1630
http://tomos-b.jimdo.com/

http://tomos-b.hatenablog.com/





BACK